smile

朝七時起床、いつもより大分早起き。

コーヒー一杯飲んで自転車に跨がる。目指すは最寄り駅、30分くらい。目的地は海浜幕張、生まれてはじめてのニコニコ超会議に行く。大好きな友人に会うためだ。

入場口からは、今まで見たことないくらいの長蛇の列が延びていて、立っているだけなのにだいぶやつれてしまった。目の前に見える大きな建物が遠い、1ヶ月ちょっとぶりの再会が待ち遠しい。

建物のなかは思っていたより広くて、色々なブースや様々なコスプレイヤーさんでキラキラと輝いていた。響き渡る爆音もさほど嫌いではない。まさにお祭り騒ぎだ。

友人がいるのはボーカロイドのイベントブース。棒になった足を必死に動かして直行する。かっこいいその姿は遠くからでもはっきり分かって、私を見るなり友人は嬉しそうに握手をしてくれた。「◯◯(私の名前)が来るっていうから、ここに来たようなもんだよ!」という言葉が本当に嬉しかった。来て良かったなって、知り合えて良かったなって。共同で出展していた方のグッズも本当に可愛らしくて、思わず財布の紐が緩んでしまった。

その後は色々なブースを回った。アプリゲームの大会があったり、DJがボカロの曲に合わせてパフォーマンスをしていたり、戦車やロケットの展示があったり、いつも画面で見ている方々の姿も見ることができたり、そこはまさしく「いま面白いものが全部がある」という世界。なにをするでもなく、ただ見回るだけで本当に楽しかった。

閉園時間が迫り、帰路につく。いまは電車のなかだ。股関節の痛みと、残り8%になってしまったスマホの充電。そして、現実に引き戻されてしまう、あの形容しがたい感覚。胸が苦しくて辛いけど、私はあの感覚は嫌いじゃない。絶対また遊びに行く。友人ともまた遊ぶ約束をした。

終わりがあったものには、また新しい始まりがある。それはきっと、前より素晴らしいものになるはずだ。


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兎は月に帰る夢を見るか

朝一、とある訃報を目にした。私のかけがえのない友人の一人、私の大好きな演奏家さんの飼っていた兎が、亡くなってしまったというのだ。年齢は8歳と2ヶ月、人間で言えば100歳近いおばあちゃん兎だ。

 

その人の音楽に出会ったのは今から約一年前。普段は関西を中心に活動をしているその人がこちらにやってくるということで、一人で大都会へ飛び出し演奏を聞きに行った。三鷹市ある小さなライブバー、その人はアコーディオンを引きながら歌を歌った。楽器が笑い、音が泣く瞬間を生まれてはじめて目の当たりにした。その日以来、私はアコーディオンの音色が大好きになった。今では関東に来る度に、必ず遊びに行っている。

 

「もしこの子がいなくなってしまったら、私はきっといつも通りに過ごそうとするだろうな。大好きなご飯をお供えして、一緒にお散歩した公園に遊びに行って。そうしてゆっくり死を受け入れて、次の日になったら心から祈りを捧げたい」2月の頭、ライブに遊びに行ったとき、その人はそんな話をしていた。自分の大事なものが亡くなってしまったときどうするか、その答えを歌にして披露してくれた。燃えるようなアコーディオンの音色と、心臓に突き刺さる力強い声、それらは霧雨のようにしっとりと私の心を濡らし、様々な感情を残していった。

 

次に行くのは春先かなぁ、そんなことを溢していたのを思い出す。あの人を置いてお月さまに帰ってしまった愛らしい兎、今日は雨雲の向こうに行ってしまったみたい。

 

 

ビー玉を踏む

先日、弟が入学式だった。

東京の専門学校に通うために独り暮らしを始めた私の弟。18年一緒に暮らしてきたが、まさか私より先に一人立ちするとは思わなかった。

 

彼は真面目だ。真面目で、実直で、不器用な男だ。何があっても笑ってごまかし、一人で悲しみや怒りを圧し殺すような奴だ。

私とは全く違う、不思議なほど正反対だ。

だけど不思議と喧嘩はなかった。自分でいうのもおかしな話だが、兄弟仲は良かったと思う。

 

彼の引っ越しの日、私は親戚の法事に出ることになっていた。

本当は私も手伝いにいきたかった。喪服を着て見送りなんてしたくなかった。

せめていつも通りを装い、自室に飾っていたフィギュアを一つプレゼントして、「いってらっしゃい、風邪引くなよ」と声をかけた。たったそれだけ。

ひらひらと手を降りながら、葬儀所行きの車に乗った。

 

あれから1週間。

彼は大学生になった。

18年ぶりの家族4人暮らし。

一人分静かになった我が家は、今日も変わらずそこにある。